玄関から考える介護リフォームについて

玄関について

「玄関」。禅宗において「玄妙な道に入る関門」というのが語源だそうです。
日本に於いては玄関にて靴等履物を脱いだり履いたりする空間であり、簡便なる対応などの用件を行ったりする場所です。
しかし近年では、ポーチなどの外部空間で用件を終了する場合も多くなったように思われます。
本来的には、玄関とは室内と室外の中間領域ではないかと考えられます。
また、家族及び来客などに対して最初の入口であり、玄関の室礼(インテリア空間)及び清潔さにより住まい手のすべての生活習慣が最も現れてしまう空間です。
玄関を見れば、家族の生活感が表出されます。玄関はいわば住まい手の顔であり、また履物を脱ぎ履きすることによりハレとケの転換領域です。
また、世界を見渡せば、玄関で靴を脱ぐ習慣は殆ど無く、日本的な意味での玄関と世界的なそれとは相異があります。

建築計画時、図面には玄関を「エントランス」と表記する事例も多いですが、「エントランス」とは本来の意味では単なる「出入口」を表すものであり、日本的な意味での「玄関」ではないことは先にも触れました。
玄関的な空間の事をフランスなどではFoyer(ホアイエ)と呼び、アメリカなどではhallやentrancewayと表すことが多いです。
いわば欧米には玄関と呼ばれる空間は厳密には無いのかも知れなません。
禅宗の発生地である中国でも、南部の一部を除いて玄関で靴を脱ぐ習慣はこれまではなく、日本の「玄関」との考え方とはまた異なるようです。
元来、日本の住まいは鎌倉室町時代を経て様式として確立変化変遷され、現在の住まいへと進展したと考えられます。
「玄」という文字には奥深いという意味があり、「関」には何かを動かす大事なという意味があります。
玄関は内と外の「結界」となる場所です。
そのような意味では、現在に至っては日本でも現在の住宅では、「玄関」を「エントランス」という表記する方が適切かもしれないと感じてしまいます。

ここでもう少し「関」の話もさせてください。
玄の方位はいわば北を指します。北を玄武といい、色は黒を表し、季節としては冬を表します。
季節は春より始まり夏秋冬を過ごし、冬が終わる経験をし、そして人生の四季を経験し悟りを得た人を「玄人」と呼ぶという説があります。
因に人生の四季は色で例えられており「春の色は青。人生は青春より出でて朱夏となり白秋を経て玄冬となる」と言われています。
次いでながら、春は東を指し(東をはるとも読む)、青龍(持国天)が守り神であり、水が必要とされる。
夏は朱雀(増上天)と呼ばれ、朱夏の人と呼べば壮年を表し、人生の盛りの時を言います。
秋は白秋といい、白虎(広目天)が住む広き山野を必要とします。そして冬は玄武(多聞天)として終わります。
これ所謂風水の考えを礎としているのでしょう。
このような古くからの考えを基に、方位と季節と地形による風水的に拘れば、より良き住まいができるのかもしれません(四神相応)

 

介護について

長寿化と核家族化が進んだ結果、老人世界の人との接点の少なさは加速し、より孤独化とコミュニケーションの場が失われた状況が社会問題となっているのは周知の通りです。
家庭生活の中での刺激、活性化が恐ろしく低下しており、人は“人と人との間”にある事が、人間としてあるべき姿であったことを忘れられているようにさえ感じます。
実際、独居老人の数は増々増加しつつあります。

さて、かつては家族の中での「暮らし」を基準として住まいが設計されていた時代がありました。
しかし現在の新築建売住宅を見ると、決して将来的な住宅計画がなされているわけではなく、ただただ単なる経済コストのみによる住まい作りが行われているように感じてしまうことが多々あります。
今日のように老人介護についての問題が叫ばれているにも関わらず、経済的コストパフォーマンスを最優先し、安全性や介護を視野に入れていない設計の住宅販売が行われているのです。
最早介護問題については、枝葉末節の対応では到底解決はしないのではないかと危惧してしまうほどです。
先ずは、行政及び都市計画及び建築計画における基本を根本的な方向性の中で各人の特異性を深堀りし、対応していくことが必要と思われます。

人により介護用件には差異があり、また人により尊重されるべき性格性質のパーソナリティはそれぞれです。
生理学上の機能の衰退や退化、ライフサイクル上の個人的行動スタイル、社会生活上の習慣、心理的個人差、環境対応能力の減退と自己認識能力の欠如欠落、社会的適応能力、定年等の社会及び人間関係の欠如と欠落、家族構成の変化による家族間のコミュニケーションの欠如と欠落、高齢化に伴う今までにあった社会生活上の欠落は、刺激や触れ合いがなく社会生活上にあった外的刺激が少なくなる事から加速します。
人は極端に触れ合えないでいることは、健常な生活が送れないという事なのかもしれません。

 

介護用件

且つては人生50年という時代がありましたが、今では100年とも言われるようになっています。
人生50年時代においては、介護問題は殆どあり得ないように思われていましたが、今や100年を生きる時代になり、介護問題を考えるに、いわば定年という慣例(しきたり)を無くさねば釣り合わないと考えられます。
個人的見解においては個人の自由意志に委ねるべきだと考えています。
健常な人が可能な限り社会性を維持させる役割を担う事により、社会との接点、関わりの中で個人個人の社会性を発揮させる事となり、要介護比率は大いに低下するのではないかと考えます。
現に私筆者年齢71才は現役で現場管理もする設計士にとって、「定年」という語句はかえって老化を加速させる不要の忌み言葉に思えます。

介護問題は現役定年後に発症するケースが多いと考えると、介護年齢を引き上げるには社会性を持続認識させる事で予防の大きな一環を担えるのではないでしょうか。
また、必然的に高齢化による身体能力の減退については、止むを得ない事も多々あります。
生活習慣等による介護用件と病気・怪我等による必要介護には差異があるという言事です。。
介護に於いて必要なことは、人を見て症状を診る。人が居て症状がある事をまず考える事ではないでしょうか。

 

介護とリフォーム

介護が必要な場合の症状は人それぞれ異なりますが、まずは玄関と呼ぶ出入口の在り方に着目するべきです。
且つては引き戸玄関が主流で閾(敷居)があり、閾をまたぐ事あいならずと云われた時代もありましたが今では死語に等しいです。
現在の住宅の多くの玄関入り口はドアであり、その殆どが外開きです。
一方、欧米に於いては玄関ドアは内開きがほとんどです。
その理由は、日本の場合履物を脱ぐ事と、外部よりの悪疫を入れないという概念が根付いているためと、空間が欧米のように広く取れず狭いため、また段差がある(框と呼ばれるバリア)ためと考えられます。
欧米の場合は内開きである意味には、常にウェルカムの意思を表現しており、ゆえに玄関はhall・Foyerと呼ばれ、玄関=入口を入ったらすぐリビング空間となり、ワンクッションを置かずに客を受け入れる寛容な趣があります。元来住宅計画手法が分割手法による日本では、田の字型分割手法による住宅が多く、寛容さよりも外と内とでは気配が判れども一線を引くことを重視しており、それは日本人のたしなみのようなものに通じるとも思えます。

一方の欧米では一般的に連結型手法による計画が主流です。
まず個別の必要居室があり、必要居室と居室を継ぎ合わせて住宅建築があります。狩猟型と農耕民族型。家族型と個人型に分類されるところです。
欧米の介護及び住まいの計画については、家族的介護スタイルと個人型介護スタイルがあります。
特にアメリカではサンシティ―と呼ばれる50年程前から老人専用住宅が作られており、原理原則における介護型と発生現象型による対処法があります。
しかし日本の場合を見ると、発生現象型と考えられます。
一貫性が無い個々のケースに合わせた介護リフォームとしてその姿はあります。
介護リフォームにおいてまずは、玄関の段差を無くす事、靴脱ぎ段差を無くすことなどがあります。

そして最大の課題はスペースを設けることに行き当たります。
個人差により補助器具の設置を必要とする場合があり、スペースが必要となる場合があります。
また介護者が介護をするための必要スペースがさらに必要となります。

しかしもっと視野を引いてみると、家から一歩外に出たときにと、道路にはバリアフリー化が進んでいないことによる介護の難しさに行き当たります。
都市計画上で道路の在り方を介護問題と合わせて考えなければ本質的介護リフォームは不可能です。
現在若く健康な人々も、いずれは来るかもしれない要介護者予備群として、都市計画の段階より考えることを求めていかなければならないでしょう。

 

以上、キャリア52年建築士の管見 Vol.2を綴らせていただきました。
「「玄関から考える介護リフォームについて」に関する記事を、お時間を割いてここまでお読みくださり、ありがとうございました。
ご参考になれば幸いです。

 

キャリア52年建築士の管見

記事では欧米と日本の差とその所感などを書かせていただきましたが、

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詳しくお話を伺わせていただき、お家の現状を調査させていただいた上で、計画とお見積りをお届けさせていただきます。

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